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ヘボドラマー、プロの夢

大学で一番楽しかった思い出・・・・


学祭です!!

学祭は軽音学部の一番活躍出来る場所でした。

私達のバンド、メタルというなんか公共の場に似つかわしくないジャンルをしていましたが、
毎月1回は昼休みに中庭で、みんなの見ている前でライブをするという事をしていたせいか、意外と周りからの受けもよく、色んな会場でライブをしてくださいという声がかかっていました。

自分のバンドだけでも大変なのですが、軽音学部は常にドラマー不足、
周りから頼まれてドラム叩いているバンドも1つや2つじゃなかったです。

ジュディマリ、レベッカ、ビートルズ、グレイ、BOOWY、などなど、色んな曲を叩くことができました。

この頃には部室も比較的自由に使うことができるようになってきます。
休み時間、代返のきく授業中、昔からやっていた深夜練、
できる限りの時間を使ってドラムを叩いていました。


学祭の3日間で18ステージドラムを叩きました(1ステージ30~40分)
しかし、学祭も終わって落ち着いたある日、手首に激しい痛みが!!!


ちょっとくらいなら我慢するつもりでしたが、どうにも我慢できなく、仕方がないので病院に行きました。
すると先生から

「腱鞘炎だね、なんでこんなになるまでほっといたの?」

とのセリフ、右手首はそれから1ヶ月のあいだ、絶対安静を言い渡されたのです。
いやほんと、学祭中じゃなくてよかったなぁとおもいました。


まぁ無事腱鞘炎は癖になることもなく、無事回復することができました。

さて、大学在学中に4回ある学祭も全て終わり、なんとな~く目標を見失いそうになった頃、新しいバンドの誘いが来ます。

入学からの付き合いのしょっちゅう喧嘩ばっかしてるでっかいロン毛のギターとベース、そして私の3人、そしてプロでも活躍していたキーボーディスト、そして今もプロの場で活躍しているボーカル、この5人でバンドを組むことになったのです。
キーボードとボーカルは大学外の人、完全にプロ志向。

ここに来てやっとプロのミュージシャンへの道が見えてきたのです。

このバンドもジャンルは・・・・
ハードロックな感じでキャッチーなメロディーの曲。

遠くないのが、SEX MACHINEGANSとか筋肉少女帯みたいな感じ・・・
う~ん、うまく言い表せませんが、そんな感じですw


ライブも大学内ではなく、色んなライブハウスでやりました。
全国ツアー中の色んなバンドと対バンさせて頂いていたせいか、すこ〜しづつ人気も出て来まして、
ファンとかもついて来ました。


後から聞かされた話だったのですが、
もともと、このバンドのボーカル、バンド結成当時より事務所に声はかけられていたんです。
でも。ソロでデビューしたくないんで、バンドくみたいってなって、
それで自分たちに声がかかったみたいだったんですよね。

そんな訳もあってか、ライブを始めて1年くらいで、某事務所から声がかかり、
こんどライブ見に来ますというはなしになったのです。

個人的には音楽関係の事務所の人がわざわざ自分たちのライブを見に来るとか初めての経験。
ライブの数週間前から、初めてのライブの日並みに緊張してきました。


ライブ前のリハもいつも以上に行っていました。
そして運命の前日、最後のリハの日・・・・


ボーカルが練習に来ませんでした・・・・・





元々練習をさぼったり遅刻したりするタイプではないボーカル、
携帯にも出ない・・・・心配して家族の元にも連絡したが、
家族の方でも昼過ぎから連絡が取れなくなって探しているとのこと。


仕方なく、その日はボーカル抜きでリハを行って翌日を待ちました。




翌日、やはりボーカルから連絡はありません。
ボーカルの家族のもとに電話をしました。


私「すみません、○○さん帰ってきましたか?」

家族「いや、帰ってきてはないんですけど、ちょっと・・・・すみません、今日ライブなんですよね?」

私「はい」

家族「本当にすみませんが、今回は○○抜きで・・・・」

私「え・・・・直接は話せないんですか?」

家族「ほんとにすみません、私たちも連絡がとれない状態で・・・・」


事情はわかりませんでしたが、今は家に帰って来てないこと。

生きてはいそうだけど、連絡は取れないこと・・・

なにか言いにくい事情があること・・・・

それだけはわかりました。


しかし泣いてる家族の方にはこれ以上責めることができず、電話を切りました。


この日のライブは事情をライブハウスに連絡して取りやめ。

事務所の方にも事情を話して、平謝り、
まぁその場は笑って許して下さったのですが、その方から声がかかることはもうありませんでした。

ほんとにちょっとですが、このままデビューしてCD出してツアーして・・・・

とか抱いていた夢はもろくも崩れさりました。

まぁ元々自分でつかんだチャンスではなく、人からもらったチャンスだったしいっか



とか当時は自分に必死に言い聞かせてました

しかし、やっぱりちょっとでもつかめるかもと思った夢、

何もできずにさよならしなければいけないのはくやしかったですね〜。






このボーカル、結局ず〜〜っと連絡が取れず、


次に連絡が取れたのはなんと、このライブから半年後のことになりました。








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ヘボドラマー、大学に入る!

こんにちは〜、

前回は高校生時代の話でした、
無事高校も卒業し、大学生になります。

大学を決めるときの一番の条件は”福岡に行くこと”でした。
バンドのメンバー、みんなできめたし、何より、今いる熊本よりも
音楽の活動が広がるかという理由でした。

しかし親からは”国立に行くなら福岡行ってもいい”という厳しいお言葉。

なんとか頑張って某教育大に合格、晴れて福岡でのひとり暮らしがはじまるのでした。

さて、大学はいって、初めはドラムを叩く場所の確保です。
ドラムを叩く場所・・・・とりあえず軽音楽部に入ってやれ!!



しかし、実は結構人見知りな私、自分から
”入りたいです!!!”なんて言えるはずもなく、
ひたすら軽音の人から声をかけてくれるのを待っていました。

サークルの勧誘が合っているとき、なんどか自分から乗り込んでいこうかとも思いましたが、
やはり勇気がありません。

しかたがないので軽音楽部の人たちがいるテントの周りをウロウロウロウロ・・・・
4週くらいしたでしょうかwやっと話しかけてもらえましたw
完全にタダの怪しい人だったと思います。

とりあえず、無事に入部、とりあえずドラムの練習場所が確保できた!!!!



と思ってました!!!

しかし、私の入った軽音楽部、じつはかなり有名な部で、
好きな人は他の大学、遠いところはわざわざ他県の大学から来てる人もいるような部でした。

そんな状況だから当然なかなか部室もあいていません。
まずバンドを組まないと放課後は練習できません。

休み時間に部室に行っても結構な割合で先輩が練習していますし、
入ってすぐのペーペーが自由にたたけるような空気もありません。

とりあえずは休み時間は先輩たちのたたくとこを見て、
みんなの練習が終わって帰ってしまった22時以降にこっそり部室に入って
消音パッドをつけて1日2〜3時間練習をするようになりました。

しかし、バンドを組まないとちゃんと音を出して練習ができません。
ちょうど夏に軽音楽部全体でやるサマーライブにむけて、みんなバンドを組みなさいというふうになっていたので、みんなで集まって誰と誰がバンドを組むかを話し合ってました。

ドラマーはもともと人数不足だったので、自分はすぐにバンドは決まりました。
高校生のときと同じ、ユニコーンのコピーバンドです。

しかし、それ以外のパート、特にボーカルとギターはっちゃいました。
せっかくの初ライブ、みんな参加したいですよね?
だから、余った人たちを集めて、そこでもう一個バンドを持つことを決めました。


しかし、メンバー・・・・・
みんな長髪男子・・・・・・・・
しかもでっかい・・・・・・・・・・

漫画に出て来そうなメタルのにいちゃんばっかりです。
当然やるのは”ヘビーメタル”

じつは高校生の頃からユニコーンをやりつつも音楽の趣向はそっちの方だったので、
そこについては問題なかったのですが、ここにきて”ツーバス(XJapanのYOSHIKIみたいにどこどこやるやつ)”という新たな障害が出て来たのです。

見た目こわっ!!!とか思ってましたが、気合いが入っているのは見た目だけでなく、
プレイもかなり凄い強者ぞろいでした。
初めはメタリカやジューダスプリーストというバンドのコピーをしていくのですが・・

ツーバス、めっちゃ出て来ます。今まで聞くのは好きでしたが、全くたたいたことがありません。しかも初心者にはあまりに気宇すぎるスピードのツーバス・・・

みんながやりたいと言っている曲なだけに自分としてもなんとかしたい!!
そこで高校生以来のエア・ドラム練習再開です

授業受けているときも、家にいるときもいっつも足ばたばたさせてました。

はじめは全然できないんですよ。もうね、すぐに右足と左足が同時になってしまう。左足が右足に釣られてしまうんです。


ほんとにいつか叩けるようになるのかよ?と思いながら、でもやるって言った以上やるしかない!!!


しかし、2ヶ月位たったある日、突然叩けるようになったのです!!

そうなってしまうと逆になんで叩けなかったのかが不思議になる。
あとはスピードをあげていくだけです・・・・・


なんて簡単なものじゃなかったですが、なんとかサマーライブには間に合いました!!

大学での初めてのライブ・・・・
そして初バンドお披露目・・・

かなりみんなの度肝を抜くことができました!!
大喜びで前に来てのってくれてる人、
ただただポカーンと口を開けて呆然と見ている人。

でっかいロン毛の兄ちゃんが仁王立ちで演奏しながら叫んでる姿、
ポップがメインのサークルだったので、かなり異様だったようですw


でも、このライブで、新たな目標が出来ました。

”1年生のうちに軽音最強のドラマーになる”ということと、
”このバンドでのし上がっていってやる”ということです。


そして、この時点、高校を卒業してたった3ヶ月チョイで、
大学入ってから練習もしないで遊び呆けてた
高校時代の仲間とはバンドをすることを諦めたのでした。


このバンドは大学の4年間、ばっちり続けました。
音楽性の微妙な違いから揉めることもたくさんありましたが、

それでもみんなこのバンド以外に一緒に演奏してて楽しい人間はいないこともわかっていたので、
喧嘩しながらもしっかりやって行きました。

はじめはコピー中心にやっていましたが、だんだん、オリジナルの曲にシフトしていって、
ちょいちょいライブハウスなんかにも出ていくようになります。


そして大学4年のある日、私のバンド人生を右に左に振り回してくれたある方と出会います・・・・


これはまた明日書きます!!

ヘボドラマー、初ライブ!!

昨日やっとドラムの話が出てきました。


どうやらはじめることはできたけど、思ったとおりに叩けないって話でしたね。

それでは今回は高校卒業から初ライブあたりまでを書いていきます!!



・・・・週一回の練習を高校入って間もなくから続けていきます。
実は私の高校のクラス、進学用の特別クラス、
しかも設立1年目とあって、とにかく先生たちが気合入りまくり!!


平日は授業も朝7時からより8時までの完全に法律なんか無視したブラック学校でした。
損の合間をぬって曲覚えたり、ドラムの練習したり、かなり大変でしたね。

みんなが休みな土曜も当然のように授業やテストでうめつくされていきます。
開いているのは日曜日と・・・・授業中w

ウォークマンを使って授業聞いてるふりして曲を聞きながら覚え
(袖にイヤホンを通して、肘をついた格好でこっそり曲を聞いてました。)
休み時間にエアドラムしてました。

休み時間ごとに机やら筆箱やらをペチペチ叩いて、授業中は授業中は曲覚え、完全になんのための学校かわかんなくなっていましたが、
やっぱり楽器を演奏するのはめっちゃ楽しかったし、そのためのことなら全く苦になっていません。

ひどい時には昼休みに完全に寝ている時にも手足が動いていたそうです(友人談)

・・・・で、日曜日はバンドで練習、1回2時間の練習を毎週していき、まぁすこ~~~~しずつではありますが、聞けるようになっていきました。

そんな状況が2年ほど続いたある日、悪友Nがチラシを持って口を開きます。

”そろそろLIVEせん?”




すっかり忘れてました。練習するためにバンド始めたのではなかったです。

あくまでLIVEをするため、あの鳥肌のたつ瞬間をもう一度味わうために練習していたのです。


そして悪友Nが持ってきたチラシにはこう書いてありました。
”オーデイション”
・・・・・・

オーデイション????


どうやら楽器屋の企画で、スタジオでオーデイションをやって、受かったところがLIVEをできるという趣旨のものらしいです。

いや、こんなんマジ受からんやろ?と思いましたが、

”いや、受かるやろ、俺ら充分うまいって”とN談、


・・・・

あいかわらず強引な悪友Nですが、まぁ参加にお金もかかんないし、高校生部門って別に設けてあるし、
下手すりゃ行けるかもね~くらいの感じでオーデイション、受けて見ることにしました。


そしてオーデイション当日、会場は楽器やさん内のおっきめのスタジオでした。


回りにいるのはスタジオのスタッフ、対するバンド・・・・

初めての人前での演奏・・・・・


緊張しないわけ無いですよねw


かなりカチカチになって演奏しました。

結果は・・・・・・落選!!!w


実は応募からオーデイションまでの1ヶ月あまり、
散々悪友Nの根拠のない自信にほだされて、
”もしかしたら受かって初めてのステージg結構でっかいとこ?”
とか妄想してしまっていたので、かなり悔しかったんです。


だから、落ちたあとにそのスタジオに行って、
”受かったバンドのビデオ下さい!”って言ってそのバンドをみんなで研究しました。

結果は・・・・
”これうちが勝ってたんじゃ?”

”スタッフの見る目が変なんじゃ?”でしたw


当時は自分のことがよく見えてなかったんですね。
今そのビデオを見るとどう考えても”相手の勝ち”ですw


というわけで、初ライブにはならず!
改めて地元で一番の高校生バンドというあらたな目標を掲げて練習に励むのでありました。


初ライブにありつくのはそれから1年ほどした高校3年生の時、
私は人学コースの受験対策とやらで、今までよりもさらに授業が増えて大忙しでした、

これもまた悪友Nの一言に始まります。
”そろそろ1回くらいはライブやろうぜ!”

まぁ3年も練習のみをしてきているんです、これはみんな納得です。

しかし、大変だったのはその企画、
ライブハウスを借りたり対バン見つけて連絡したり、


みんなでするのかとおもいきや・・・・
完全に人任せ・・・てか俺任せです。


平日夜返ってから時間やら順番、
チケットも自分たちで作って、みんなに配ったり、

会場の時間の打ち合わせなんかもしたり、

めっちゃ大変でした。ホント寝る間を惜しんで頑張りました。

結果ライブは大成功、初ライブにしてライブハウスいっぱいのお客さん、そして人前での初演奏。


まだまだお世辞にも上手いバンドではなかったですが、友達が自分たちの演奏でわいわいのってくれたりしているのをみて、久々に音楽をするという喜びを感じることができました。


初ライブの記憶は、のってくれてる友達をみて自分も上がりまくったこと、
照明がめっちゃ暑かったこと、
対バンのオネイさんが綺麗でセクシーでたまらなかったこと

くらいですねwでもこのライブ、私の中では一生ものの宝です。


高校生の時のライブはこれ一度だけ。3年間やってライブ一回とか、今考えるともったいないことをしたなぁ、もっとやっときゃよかったなぁと思います。

そしてその思いは大学で大爆発をさせるのでした。



さて、次回は大学編です。
ほんとに大学生活はめっちゃ楽しかったです。

どこまで伝えれるかわかりませんがwまた頑張って書きます!!!

ヘボドラマー、やっとでドラムをはじめる

さて昨日は小学校時代の甘酸っぱい思い出なんかについてお話させていただきました。

まだ右も左もわかんない状態ではありましたが、楽しかったですね〜。
で、昨日もかいた通り、ここから中学前半までの約3年、私の音楽活動は中断されます。

その沈黙を破ってくれたのは私の悪友、Nでした。
Nから渡されたCD、
"COMPLEX"というグループ名がかいてありました。

「これすっげーかっこいいとばい!」(熊本弁です)
と半ば無理矢理渡されたCD、まぁとりあえず聞いてみました。

そのときの感想は・・・・・
「うん、まぁかっこわるくはないけど・・・」
みたいなもんでした。

しかし、それから1ヶ月位して、また悪友Nです
「こんどCOMPLEXが熊本来るとばい!!見に行くやろ?」

いや、もともと別にかっこいいともおもってなかったので行く気もなかったのですが、
かなり強引なN、結局またしても半ば無理矢理、LIVEに連行されることになったのです。

中学生にして初めてのLIVE、会場はお兄様お姉様ばっかり、いったい何が起こるのかとドキドキしていました。

そして定刻を30分くらい過ぎたとき・・・
会場が真っ暗になり・・・・

突然で〜〜〜〜〜〜〜〜〜っかいドラムの音・・・・
今まで生きて来た中で一番でっかい音だったんじゃないでしょうか?
それを皮切りにLIVEが始まりました。

初めはでっかい音にただただびっくりしていましたが、
30分くらいでなれて来て、だんだんLIVEを楽しめるようになって来ました。

吉川晃司と布袋寅泰の立ち姿、バックバンドの演奏にだんだん引き込まれていきました。
LIVEの終盤にはノリノリになって踊っている自分がいました。
初めてのLIVE、無理矢理連れて行かれはしましたが、結果的には大満足でした。

そしてこの日をさかいに音楽熱が再燃、
COMPLEXはもちろんのこと、いろんな音楽を聴くようになっていくのでした。


悪友Nやその他の友達に勧められたCDを聞きあさっていました
その中で運命の一枚に巡り会ってしまいます。

それは・・・・”X”の”BLUE BLOOD”というCDでした。
当時はまだ今ほどビジュアル系の音楽というのは浸透していなくて、
かなり奇抜なかっこだな〜と思いながら聞いてみたら・・・・

ドコドコなり続けるドラム
派手なギターの音、低音のベース、

さらにハスキーなボーカルの声
どれも刺激的でした。

私の中学生時代はブルーハーツ全盛期、
みんながブルーハーツにはまっている間、私はXを毎日聞き込んでいました。

この時点ではまだ楽器をはじめていません。
楽器をはじめるようになったのは友人Nの一言。

”高校生になったらバンドしようゼ!!”って言葉でした、
これについては無理矢理参加させられたではなかったです。
またあのみんなであわせたときの一体感、あれを感じることができると思うと中学の卒業が待ち遠しくて仕方なかったです。

XのHIDEに憧れていた私、バンド結成に備えて、HIDEモデルのギターを購入、
一生懸命練習していました。

中学も無事、卒業し、さて、待ちに待ったバンド結成です!!
しかし、ここで問題発生です!


ギターが3人いる・・・・
まぁよくある状況ですよね。やっぱりあこがれを抱き易いパート、
かぶっちゃいますよね〜。


そこでその中からひとりだけ、ドラムに強制パートチェンジをすることが決まりました。
決める方法は・・・・

じゃんけん・・・・・・・・・・・・・・・


ヘボドラマーの誕生です泣

でもここでじゃんけん負けてなかったら私がドラムを叩いている未来はなかった訳で、
今となっては感謝していますけどね、

でもこのときはかなり悔しかったですw


というわけで半年間頑張ったギターをドラムのスティックに持ち替えて
またいちからスタートになるのでした。

ちなみにコピーするのはユニコーン、
初めからXやろうとかなっていたら、くじけてたかもしれませんねw


なにから練習すればいいのかわからない私は、とりあえずユニコーンのビデオを見て、
見よう見まねで手足をバタバタはじめます。

足やら机やらをたたいて練習っぽいことをしていました。
はじめてやった曲はユニコーンの”Sugar Boy”

いがいとテンポの早い8ビートの曲で、スピードについていけずなかなか大変でした、
今考えるとSugar boy、全然初めての曲向きじゃないです。

それでもなんとか手足ばたばたさせてなんとかついていける状態になって初めてのスタジオ練習にのぞむことになる訳です、


初めてはいるスタジオ、そこで初めてのスティックを購入(このときのスティックは大事にとってます)
そして初めてちゃんとしたドラムセットと対面しました・・・・

全くなにを同調整すればいいのかわかんない、とりあえずそのままたたき始めます。
そして初めて合わせるSugar boy




愕然としました。
手足でぺちぺちしてるのとは訳が違います。

まずスティックが意外と重い。何も持っていないのと比べると格段に腕が動かしにくい!!
そしてシンバルもスネアもたたいたらリバウンドがくる!!

とにかく思ったようにたたけないんです!
こんなにも実際たたくのと手足ばたばたして妄想しているのとではちがうのかとびっくりしました。

まぁもちろん、私だけでなく、みんな初心者、
初回の演奏は聴けたもんじゃありませんでしたw

しかし、ここでくじけるのではなく、あの鳥肌の立つ瞬間をもう一度味わうため、
これから週1回はきちんとスタジオに入ってみんなで練習を重ねていくのでした。


はい、やっとドラムの話に入ることができましたw
次回は高校生のときの初ライブの話になっていきます。

暇な方、また読んで下さいね

ヘボドラマーの小学生時代

さて、前回は小学校時代のブラスバンド部に入ったきっかけをお話しました。

実はブラスバンドにいた期間って1年弱とそんなに長くはないんですね。
でもここでの時間は色んな意味で濃い時間でした、

その中ですっごく惜しいことをしたなぁと思っているのが
シャイすぎて女の子とまともに話すのもままならなかったあの頃に”人生最大のモテ期”が来てしまったこと

これはうれしいような・・・・
タイムマシーンで過去に戻って自分を殴ってやりたいような・・・・・
そんな気持ちですw

そのときのことを今回は話します。
はい、完全に自己満ですw



昨日もかきましたが、ブラスバンド部は女の子の多い部でした。
割合にしたら、8:2くらいでした。

しかも、小学4年生で部活に入った私は最年少、
周りはおねぇさまばっかりでした。

私が入って3ヶ月くらいした頃、第1の事件が起こります。


ブラスバンド終わって家に帰ってランドセルを開けると・・・・・
小さい紙に”好き”とおしゃれにペンで装飾して書いてあるものを発見。
名前は・・・・書いていませんでした。

これを見た私、今だったら喜んだあげくに書いてくれた人を捜し出そうとするに違いありませんが、
おさない私のとった行動は・・・・・



泣きましたwしかも記憶に残ってるくらい大泣きしましたw

なんか怖かったみたいですね。今思えば何が怖かったのか理解に苦しみますが、
とにかくこのときは他の人から好きと言われるのが怖かったみたいですw


次の日のブラスバンドで、直接ではないですが、その紙を入れた子が誰なのかは判明しました。
2こ上の可愛い女の子でした!!それがわかった私の行動は・・・・

その女の子をシカト・・・・・
もう我ながらホント情けないです。ショックだったでしょうね。
ほんとそのときの自分に”もう二度とそんな経験ないぞ!!優しくしときなさい!”
と言ってやりたいです泣


それから数ヶ月してさらに事件は起こります。
それは昼休みのこと、部長に音楽室に呼び出されたんです、

なんの用事かな?と思っていってみると
そこにいるのは部長とその友達B(どちらも女の子)

どうやら特に用事はなかったようで、普通に(オドオドしながらですが)話をしていました。
そして昼休みも中盤にさしかかったであろうとき、魔の一言が・・・・

”○○くん裸になって(はぁと”

あ、ここ以前の会話の内容は全く記憶にないですw
でも確かに言われたんです”は・だ・か・に・な・れ”

そして私はジャンパーを脱がされそのまま・・・・


逃げましたwこの状況、そりゃ逃げますよねw

今となってはとても惜しいことをしたと思っていますw
タイムマシーンで過去に戻ってなぜあのときされるがままにしていなかったのかとw


放課後、ちゃんとジャンパーは返してもらいました。
そのご、なんとその部長から実は好きですという告白もされましたw

さらに!!この部長には妹もいて、(妹は同じクラスの同級生でした)
その子も私と一緒に入部、そして妹からも後日告白されました!!

今なら上手く行けば姉妹相手に3P・・・

いやいや、それはともかくとして他にもブラスバンド部にいた約1年の間に
10人くらいのブラスバンド部の女の子に告白されましたw

後にも先にもこんなにもモテたことはなかったですね〜。

せっかくのモテ期を完全にフイにしているのはと〜〜〜〜〜ってももったいないと今でも時々くやしいおもいにかられますがw

でもこのときに味わったバンドの楽しさ、一体感、
それは私が今後、また音楽がしたいなと思うようになるのに充分な動機であったと思います。

しかし!!ここで私の音楽活動、一旦終わっちゃうんです。

理由は引越前と後の学校が、あまりに学力のレベルが違いすぎて、塾通いをしなければいけなくなったこと、

そして塾通いが普通になってしまって音楽をする暇がなくなってしまったこと、

中学の前半は皆さんおなじみ反抗期が来ていて、音楽どころじゃなかったこと。

そんな理由から音楽っぽいことな〜んもしてなかったんですね。
これって今振り返るともったいなかったなぁと思います。

しかし、その3年くらいの間、音楽で刺激を受けることがなかったんですね。

ここで、久しぶりにカッコイイ!!!!!!

って思ったバンド、COMPLEX、そしてX(当時はJapanじゃなかった)と巡り会って、
また音楽がしたい!!!と思うようになってくるのですが、それは次回のお話ですw


今回はなにが結局言いたかったかというと・・・・
”とりあえず、過去のモテ期”を自慢したかった

これにつきると思います。

でもこのときの記憶により
”音楽をするとモテる”と体が覚えてしまっていて、

その後のバンド活動のモチベーションにつながっていたのではないか

それも今になっては否定はできないですね。

なんせ、音楽やってないとモテなかったですからw

それでは次回はついにバンドが始まります!!
このブログのいっちばん初めの

”実は私、はじめはギタリストになりたかったのです。”
もそろそろ出て来ます!!

たいした理由ではないですが、ギターが引きたかった理由、なんでドラムになっちゃったのか、等も出てくると思います!!

ここまで読んで下さってる暇な方、ありがとうございます!!

次回もよろしくお願いします!!

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