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ヘボドラマー、プロの夢

大学で一番楽しかった思い出・・・・


学祭です!!

学祭は軽音学部の一番活躍出来る場所でした。

私達のバンド、メタルというなんか公共の場に似つかわしくないジャンルをしていましたが、
毎月1回は昼休みに中庭で、みんなの見ている前でライブをするという事をしていたせいか、意外と周りからの受けもよく、色んな会場でライブをしてくださいという声がかかっていました。

自分のバンドだけでも大変なのですが、軽音学部は常にドラマー不足、
周りから頼まれてドラム叩いているバンドも1つや2つじゃなかったです。

ジュディマリ、レベッカ、ビートルズ、グレイ、BOOWY、などなど、色んな曲を叩くことができました。

この頃には部室も比較的自由に使うことができるようになってきます。
休み時間、代返のきく授業中、昔からやっていた深夜練、
できる限りの時間を使ってドラムを叩いていました。


学祭の3日間で18ステージドラムを叩きました(1ステージ30~40分)
しかし、学祭も終わって落ち着いたある日、手首に激しい痛みが!!!


ちょっとくらいなら我慢するつもりでしたが、どうにも我慢できなく、仕方がないので病院に行きました。
すると先生から

「腱鞘炎だね、なんでこんなになるまでほっといたの?」

とのセリフ、右手首はそれから1ヶ月のあいだ、絶対安静を言い渡されたのです。
いやほんと、学祭中じゃなくてよかったなぁとおもいました。


まぁ無事腱鞘炎は癖になることもなく、無事回復することができました。

さて、大学在学中に4回ある学祭も全て終わり、なんとな~く目標を見失いそうになった頃、新しいバンドの誘いが来ます。

入学からの付き合いのしょっちゅう喧嘩ばっかしてるでっかいロン毛のギターとベース、そして私の3人、そしてプロでも活躍していたキーボーディスト、そして今もプロの場で活躍しているボーカル、この5人でバンドを組むことになったのです。
キーボードとボーカルは大学外の人、完全にプロ志向。

ここに来てやっとプロのミュージシャンへの道が見えてきたのです。

このバンドもジャンルは・・・・
ハードロックな感じでキャッチーなメロディーの曲。

遠くないのが、SEX MACHINEGANSとか筋肉少女帯みたいな感じ・・・
う~ん、うまく言い表せませんが、そんな感じですw


ライブも大学内ではなく、色んなライブハウスでやりました。
全国ツアー中の色んなバンドと対バンさせて頂いていたせいか、すこ〜しづつ人気も出て来まして、
ファンとかもついて来ました。


後から聞かされた話だったのですが、
もともと、このバンドのボーカル、バンド結成当時より事務所に声はかけられていたんです。
でも。ソロでデビューしたくないんで、バンドくみたいってなって、
それで自分たちに声がかかったみたいだったんですよね。

そんな訳もあってか、ライブを始めて1年くらいで、某事務所から声がかかり、
こんどライブ見に来ますというはなしになったのです。

個人的には音楽関係の事務所の人がわざわざ自分たちのライブを見に来るとか初めての経験。
ライブの数週間前から、初めてのライブの日並みに緊張してきました。


ライブ前のリハもいつも以上に行っていました。
そして運命の前日、最後のリハの日・・・・


ボーカルが練習に来ませんでした・・・・・





元々練習をさぼったり遅刻したりするタイプではないボーカル、
携帯にも出ない・・・・心配して家族の元にも連絡したが、
家族の方でも昼過ぎから連絡が取れなくなって探しているとのこと。


仕方なく、その日はボーカル抜きでリハを行って翌日を待ちました。




翌日、やはりボーカルから連絡はありません。
ボーカルの家族のもとに電話をしました。


私「すみません、○○さん帰ってきましたか?」

家族「いや、帰ってきてはないんですけど、ちょっと・・・・すみません、今日ライブなんですよね?」

私「はい」

家族「本当にすみませんが、今回は○○抜きで・・・・」

私「え・・・・直接は話せないんですか?」

家族「ほんとにすみません、私たちも連絡がとれない状態で・・・・」


事情はわかりませんでしたが、今は家に帰って来てないこと。

生きてはいそうだけど、連絡は取れないこと・・・

なにか言いにくい事情があること・・・・

それだけはわかりました。


しかし泣いてる家族の方にはこれ以上責めることができず、電話を切りました。


この日のライブは事情をライブハウスに連絡して取りやめ。

事務所の方にも事情を話して、平謝り、
まぁその場は笑って許して下さったのですが、その方から声がかかることはもうありませんでした。

ほんとにちょっとですが、このままデビューしてCD出してツアーして・・・・

とか抱いていた夢はもろくも崩れさりました。

まぁ元々自分でつかんだチャンスではなく、人からもらったチャンスだったしいっか



とか当時は自分に必死に言い聞かせてました

しかし、やっぱりちょっとでもつかめるかもと思った夢、

何もできずにさよならしなければいけないのはくやしかったですね〜。






このボーカル、結局ず〜〜っと連絡が取れず、


次に連絡が取れたのはなんと、このライブから半年後のことになりました。








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